知っているようで知らない、知らないようで知っているルワンダの歴史
今回は15世紀ごろ誕生したといわれる”ルワンダ王国”の時代から経済成長が著しい近年までのルワンダの歴史を追いかけてみたいと思います。なお、ルワンダの歴史については不明な部分も多く、ここでは事実として分かっている部分のみを記しています。最初にルワンダの略史を示し、そのあと順を追って歴史を辿っていきます。
ルワンダの略史
15世紀頃 | ルワンダ王国建国 |
1890年 | ドイツ保護領となる |
1916年 | ベルギー軍による侵攻・占領が起きる |
1922年 | ベルギーの委任統治領となる・・・ツチ優遇政策(ツチ系王族でフツ系を統治) |
1946年 | ベルギーの信託統治領となる |
1959年 | 多数派フツのエリートによる「社会革命」により、自治権を獲得・・・この時、多数のツチが難民化 |
1961年 | 国民投票により王政を廃止 カイバンダ初代大統領(フツ系)就任 |
1962年7月 | ベルギーから独立 |
1965~71年 | 日本銀行 服部正也氏 ルワンダ中央銀行総裁として経済再建・通貨改革でルワンダの発展に貢献 |
1973年7月 | クーデターによりハビャリマナ大統領(フツ系)就任 |
1990年10月 | ルワンダ愛国戦線(RPF)がウガンダから侵攻 |
1993年8月 | アルーシャ和平合意(ルワンダ政府とRPFの議定書)成立 |
1994年4月 | タンザニアでのRPFとの交渉の帰途ハビャリマナ大統領暗殺(ブルンジ大統領同乗機キガリ近郊で撃墜)・・・・ 「ルワンダ大虐殺」が始まり、僅か3か月で80~100万人が犠牲に… |
1994年7月 | RPFが全土を完全制圧 ビジムング大統領(フツ)、カガメ副大統領(ツチ)就任 |
2000年4月 | カガメ大統領就任 |
2003年5月 | 国民投票による新憲法制定 |
2003年8月 | 大統領選挙でカガメ大統領当選 |
2004年4月 | ジェノサイド勃発~10周年 |
2007年7月 | 東アフリカ共同体(EAC)加盟 |
2003年9~10月 | 上院・下院議員選挙(与党RPFの勝利) |
2008年9月 | 下院議員選挙(与党RPFの勝利) |
2009年11月 | コモンウェルス(英連邦系国家連合)加盟 |
2010年8月 | 大統領選挙でカガメ大統領再選:2期目 |
2013年9月 | 下院議員選挙(与党RPFの勝利) |
2014年4月 | ジェノサイド勃発~20周年 |
2015年12月 | 国民投票による憲法改正(憲法172条の改正により2034年まで大統領職にとどまることが可能となった) |
2017年8月 | 大統領選挙でカガメ大統領再々選:3期目 |
2024年4月 | ジェノサイド勃発~30周年 |
2024年7月 | 大統領選挙でカガメ大統領再再々選:4期目 |
”ルワンダ王国”時代
ルワンダ王家は伝承上1350年頃から始まったとされ、3代目のニギイニャ朝時代に後のルワンダの領域が欧米諸国の侵略を受けました。王家は少数派の牛牧民ツチのパトロン・クライアント関係の頂点にあり、ムハジ湖周辺から徐々に支配を広げましたが、周辺部は農耕民フツの支配が維持されていました。第一次世界大戦終結まではドイツ領東アフリカとして植民地支配を受け、ドイツの敗戦後はルアンダ=ウルンディとしてベルギーの支配下に置かれました。この間に、ドイツ軍やベルギー軍の武力によりツチの王権・首長制が強化され、ツチとフツの「人種」的分離とツチによる間接支配体制が構築されました。ただ、このような多層的な対立構造があったにしても、ツチとフツは共存し、婚姻関係も通常でした。
1959年7月、国王ムタラ3世がベルギー当局によるワクチン接種後に不可解な死を遂げ、弟のジャン=バティスト・ンダヒンドゥルワがキゲリ5世として即位しました。これに伴い、ツチ人とベルギー当局の関係は急速に悪化し、同年11月、フツ人政党パルメフツの指導者の一人ドミニク・ムボニュムトゥワがツチに襲撃されたことを契機に、多数派フツのエリートが「少数派ツチという一つの人種」によって政治的に独占されていた封建制度に異議を唱え、ツチの王制を打破し、共和制を確立させる「社会革命」が起き、ルワンダは自治権を獲得しました。この年の「社会革命」により大量のツチ難民が発生し、隣国ウガンダなどに逃れています。
1961年、キゲリ5世がキンシャサにて開催される国際連合事務総長ダグ・ハマーショルドとの会談のため外遊中、ベルギーの支援を受けたドミニク・ムボニュムトゥワがクーデターを起こし、王政存廃に関する国民投票を実施しました。その結果、キゲリ5世は廃位され、共和制国家の樹立が決定されました。1962年、ルワンダ共和国として完全に独立しましたが、政情不安が後のジェノサイド(ルワンダ内戦)に繋がることとなってしまします。
ムタラ3世
キゲリ5世
当時を再現した王族の住居
一般に想像するような宮殿ではありません
中は広く、ゴザが敷き詰められています
王宮の前でルワンダダンスを披露するダンサー
”独立~ジェノサイド”まで
1962年にベルギーから独立し、グレゴワール・カイバンダが大統領に就任しました。1965年に服部正也氏がルワンダ中央銀行総裁として招かれ、1971年までの6年間で通貨・財政・税制改革や産業育成を行った結果、ルワンダ経済は一時期立ち直りました。しかし、南部出身のカイバンダが北部を優遇しなかったことから、1973年、ジュベナール・ハビャリマナ氏はクーデターで政権を掌握し、ハビャリマナ氏の出身地である北部に政治権力を集中させました。と同時に、ハビャリマナ政権はカイバンダと同様、「ツチ至上主義(Tutsi supremacy)」の復活から国を守ると主張しました。
1987年にはウガンダ在住のルワンダ難民らが、RPF(ルワンダ愛国戦線)という政治的・軍事的組織を結成しました。1990年にRPFがウガンダからルワンダに侵攻し、ルワンダ政府との間で内戦が勃発しました。1993年に和平合意が結ばれましたが、その後も戦闘は続きました。1980年代後半から1990年前半まで、ルワンダはさまざまな政治的・経済的危機に同時に直面していました。RPFの侵攻とともに、民族対立が悪化し、国内避難民数が増加しました。その他、RPFの侵攻を受けて政府の軍事費が1989年、国内総生産(GDP)の1.9%から1992年には7.8%に増加しました。これらの危機が国を弱体化させ、ジェノサイドを実行する可能性を広げたと考えられます。
そして1994年4月、ついにフツとツチの民族対立に端を発するジェノサイド(ルワンダ大虐殺)が発生しました。直接のきっかけとなったのは、フツ出身の大統領ハビャリマナ氏が搭乗した大統領機が何者かによって撃墜されたことでした。これを皮切りに、ツチとフツ穏健派に対する虐殺が開始されました。詳細な数字はわかっていませんが、約100日間で80ー100万人ほどが亡くなったと言われています。またルワンダ大虐殺とは別に、RFP侵攻から続いた内戦によってもツチ・フツに限らず多くの住民・兵士が亡くなっています。1994年7月、少数派ツチ系のカガメ将軍率いるRPFが軍事勝利して政権を奪取しました。こうして、20世紀最大の悲劇ともいわれるジェノサイドが終結しましたが、大統領機を撃墜したのは誰か、ジェノサイドの首謀者は誰か、などいまだに謎の部分が多く、このような悲劇を二度と繰り返されないためにも早期の解明が待たれます。
虐殺の記憶をとどめるために展示されている数えきれない遺骨(一部)
犠牲者の名前が書かれた虐殺記念館内の墓地の壁(一部)
”ジェノサイド終結後~近年”まで
ジェノサイド終結後、フツのパストゥール・ビジムングを大統領、RPFのポール・カガメを副大統領とする新政権が同年7月に樹立されました。同時に、新政権は身分証明書への出身部族記載をやめるなど、国家・社会再建に動き出しました。2000年、ビジムング大統領の辞任に伴いツチのRPFのポール・カガメが第5代大統領に就任しました。
カガメ大統領は就任した2000年に国家開発計画『VISION2020』を発表し、情報通信技術(ICT)立国を掲げました。内戦によりルワンダの産業・経済は深刻な打撃を受けましたが、1999年には内戦前の水準へと回復を果たしました。内戦時代に海外へ脱出したツチのうちの200万人近くが戦後帰国し、海外で習得した様々なスキルで国の復興に尽力しています。一方でほぼ同数のフツがジェノサイドの報復を恐れて海外に避難しています。
21世紀に入り、海外に逃れた人々も徐々に帰国し”ひとつのルワンダ”という同一の目標に向けて努力した結果、顕著に近代化が進み「アフリカのシンガポール」「アフリカの奇跡」と呼ばれるほどの発展を遂げています。毎年の経済成長率が7%前後と急成長を遂げ、首都のキガリはルワンダで最も高いランドマークのキガリ・シティ・タワーをはじめとする近代的な建物や道路が中国企業や日本の支援などによって建設され、市内の街並みは新しくなりました。また、2008年からレジ袋の製造・輸入・販売を厳しく取り締まり、違反者には薬物使用と同程度の罰が課せられるという取り組みにより街並からゴミが一掃され、非常に清潔で美しい街並みに生まれ変わりました。また、街角には常に警官が配置され、ホテルや公共施設・スーパーなどでのセキュリティー対策や犯罪防止策も高度化されていて、夜間でも一人で安全に外出できる安全性の高い国となっています。
ルワンダは伝統的には家父長制社会でしたが、大虐殺後の国家再建の過程でジェンダー平等と、女性が農業や家事以外の仕事で活躍できる社会制度や仕組みが整備されました。2008年にはルワンダ議会は、世界各国の議会で初めて女性議員が過半数となりました。2003年制定の新憲法が2015年に改正され、あらゆる意思決定組織で女性の比率を30%以上にすることを定めたからです。このため、ジェンダーギャップ(世界経済フォーラム)で2022年世界6位、 2023年世界12位と非常に高い評価がされています。また、国会議員女性比率60%超、女性閣僚比率50%超という世界でもまれな女性の政界進出が実現されています。
カガメ大統領は2018年度のアフリカ連合議長を務めてアフリカ大陸自由貿易協定の設立に主導的な役割を果たしました。2015年には憲法第172条が改正され、2034年まで大統領職に留まることが可能となりましたが、独裁的手法との批判も一部にはあります。その後、2017年、2024年の大統領選挙でも国民の圧倒的な支持を得て当選し、今は大統領4期目を迎えています。
このように、600年を超えるルワンダの歴史の中で、ジェノサイドをはじめとする様々な悲劇と苦難が襲いましたが、”ひとつのルワンダ” を目指して艱難辛苦を乗り越え、現在のルワンダは経済成長が著しい安全な国家へと変貌を遂げています。しかし、まだまだ発展途中で貧富の差が激しく、教育や産業などの分野で課題が多いのも事実です。私たち”ルワンダの教育を考える会”では、こうした課題に少しでも手を差し伸べられるように、きめ細かな支援を継続していきたいと考えています。
急速に発展するキガリ市内
市内は、車・バイク・人で賑わっています
市内には近代的な建築物も数多くあります
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郊外には振興住宅がビッシリ
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